会社を退職するとき、退職金を一時金としてまとめて受け取るか、企業年金として分割して受け取るかを選べる場合があります。
一時金には大きな「退職所得控除」があります。一方、年金受取には運用益が期待でき、老後の生活費を定期的に確保できるメリットがあります。
ただし、企業年金を受け取ると所得税・住民税だけでなく、国民健康保険料、後期高齢者医療保険料、介護保険料が増えます。
今回は東京都新宿区に住む夫婦2人世帯をモデルに、どちらが有利になるかを比較します。
試算条件
| 項目 | 条件 |
| 夫の勤続年数 | 38年 |
| 退職金 | 3,000万円 |
| 企業年金開始時の年齢 | 夫・妻ともに65歳 |
| 企業年金の受取期間 | 65歳から80歳になる前までの15年間 |
| 企業年金の運用利率 | 年2% |
| 企業年金の形式 | 15年確定年金 |
| 夫の公的年金 | 月15万289円(年約180万3,000円) |
| 妻の公的年金 | 月5万9,310円(年約71万2,000円) |
| 居住地 | 東京都新宿区 |
| その他の所得 | なし |
公的年金額は、厚生労働省が公表している厚生年金受給者と国民年金受給者の平均額を使用します。厚生労働省「公的年金財政状況報告-令和6(2024)年度」
退職金を一括で受け取る場合
退職金を一時金で受け取ると、「退職所得」として給与や公的年金とは分けて課税されます。
勤続38年の場合、退職所得控除は次のとおりです。
800万円+70万円×(38年-20年)=2,060万円
課税対象となる退職所得は、
(3,000万円-2,060万円)×1/2=470万円
です。
概算税額は次のようになります。
| 税金 | 概算額 |
| 所得税・復興特別所得税 | 約52万3,000円 |
| 住民税 | 47万円 |
| 合計 | 約99万3,000円 |
一括受取後の手取りは、
3,000万円-約99万3,000円=約2,900万7,000円
退職所得は分離課税であり、原則として国民健康保険料や介護保険料の所得計算には含まれません。そのため、退職金3,000万円を受け取ったことを理由に、翌年度の社会保険料が大きく上がることは基本的にありません。国税庁「退職金を受け取ったとき」
退職金を年金で受け取る場合
65歳時点の年金原資3,000万円を年2%で運用しながら、15年間、毎年末に同額を受け取る場合、毎年の企業年金額は、次の計算になります。
3,000万円×2%÷{1-(1+2%)のマイナス15乗}=年間約233万5,000円
15年間の企業年金総額は、
約233万5,000円×15年=約3,502万円
元本3,000万円に対して、約502万円の運用益が上乗せされます。
なお、この試算には60歳から65歳までの据置期間の運用益を含めていません。65歳時点の年金原資が3,000万円あるという前提です。
夫婦の年金収入
夫の公的年金は年約180万3,000円、企業年金は年約233万5,000円です。
| 受取人 | 年間年金収入 |
| 夫の公的年金 | 約180万3,000円 |
| 夫の企業年金 | 約233万5,000円 |
| 夫の合計 | 約413万8,000円 |
| 妻の国民年金 | 約71万2,000円 |
| 夫婦合計 | 約485万円 |
税法上「公的年金等」に該当する企業年金を想定すると、夫の公的年金等に係る雑所得は約283万2,000円です。
妻の年金収入は約71万2,000円なので、公的年金等控除の範囲内となり、年金所得は0円です。夫は配偶者控除を受けられるものとします。
65~74歳の社会保険料
夫婦とも国民健康保険に加入するものとして、新宿区の2026年度保険料率で試算します。
企業年金がある場合の国民健康保険料は、夫婦合計で年間約38万8,000円です。
| 社会保険料 | 年額 |
| 国民健康保険料・夫婦合計 | 約38万8,000円 |
| 夫の介護保険料 | 11万880円 |
| 妻の介護保険料 | 6万3,360円 |
| 合計 | 約56万3,000円 |
妻自身の年金所得は0円ですが、夫が住民税課税者になるため、妻は「本人は住民税非課税・世帯員が住民税課税」になります。
一方、企業年金がない場合は、夫婦とも住民税非課税になるものと想定されます。
| 65~74歳 | 企業年金あり | 企業年金なし |
| 国民健康保険料 | 約38万8,000円 | 約9万6,000円 |
| 介護保険料・夫婦合計 | 約17万4,000円 | 約7万1,000円 |
| 合計 | 約56万3,000円 | 約16万7,000円 |
企業年金によって増える社会保険料は、年間約39万5,000円です。新宿区「国民健康保険料の計算方法」、新宿区「介護保険料の決まり方」
75歳以降の社会保険料
75歳になると、夫婦とも国民健康保険から後期高齢者医療制度へ移ります。
企業年金がある場合の保険料は次のとおりです。
| 社会保険料 | 年額 |
| 後期高齢者医療保険料・夫婦合計 | 約35万3,000円 |
| 夫婦の介護保険料 | 約17万4,000円 |
| 合計 | 約52万7,000円 |
企業年金がない場合は、後期高齢者医療保険料の均等割について5割軽減に該当するものとして計算します。
| 75歳以降 | 企業年金あり | 企業年金なし |
| 後期高齢者医療保険料 | 約35万3,000円 | 約8万2,000円 |
| 介護保険料・夫婦合計 | 約17万4,000円 | 約7万1,000円 |
| 合計 | 約52万7,000円 | 約15万4,000円 |
企業年金によって増える社会保険料は、年間約37万3,000円です。東京都後期高齢者医療広域連合「保険料の決め方・賦課」
年金受取時の税金
妻の介護保険料や後期高齢者医療保険料は、妻の公的年金から特別徴収されるものとします。
この場合、妻の保険料を夫の社会保険料控除にはできません。夫の所得から控除できるのは、夫が実際に支払った国民健康保険料と、夫自身の介護保険料・後期高齢者医療保険料です。
概算税額は次のとおりです。
| 年齢 | 所得税・復興特別所得税 | 住民税 | 合計 |
| 65~74歳 | 約5万5,000円 | 約16万2,000円 | 約21万7,000円/年 |
| 75~79歳 | 約5万9,000円 | 約17万1,000円 | 約23万1,000円/年 |
老後15年間の比較(一括受取と年金受取)
一括受取と年金受取を公平に比べるため、公的年金だけでも発生する社会保険料は比較から除外します。
企業年金によって増える税金・社会保険料だけを差し引きます。
| 項目 | 一括受取 | 年金受取 |
| 退職金・企業年金の額面総額 | 3,000万円 | 約3,502万円 |
| 退職金・企業年金に伴う税金 | 約99万円 | 約332万円 |
| 増加する医療・介護保険料 | 原則0円 | 約582万円 |
| 実質手取り | 約2,901万円 | 約2,588万円 |
今回の条件では、企業年金の運用によって約502万円の運用益が生じるものの、税金と社会保険料が約914万円増えるため、一括受取のほうが約313万円多く手元に残る計算です。
年金の運用利率2%でも一括受取が有利になる理由
年金受取には約502万円の運用益があります。しかし、夫の年金収入が年間約414万円に増えることで、次の負担が継続します。
・夫の所得税と住民税、介護保険料が増える
・国民健康保険料が増える
・75歳以降の後期高齢者医療保険料が増える
・夫が住民税課税者となり、妻の介護保険料も上がる
・企業年金がない場合に受けられた保険料の軽減がなくなる
夫婦世帯では、夫の所得増加が妻の介護保険料や医療保険料の軽減判定にも影響します。
退職金の一括受取には「時間」のメリットもある
今回の試算では、一括受取は退職時、企業年金は65歳から15年間かけて受け取ります。
一括受取した約2,901万円を自分で運用できる場合、運用益を得られる可能性があります。一方、企業年金は年2%で運用されますが、資金を自由に引き出すことはできません。
そのため、金融商品の選択や資金管理を自分で行える人にとっては、一括受取のほうが柔軟性に優れています。
ただし、一括受取後に資金を早く使い過ぎたり、過度にリスクの高い運用を行ったりすれば、老後資金が不足する可能性があります。
「額面」ではなく、手取りと資金用途で判断する
退職金の受取方法を考えるとき、受取総額だけを比較するのは適切ではありません。
次の3点も考慮しておきましょう。
①公的年金と企業年金を合わせた税額
②国民健康保険料・介護保険料への影響
③住宅ローン、生活費、相続など資金の使い道
一括受取が向いている人
・退職所得控除を十分に使える
・企業年金の運用利率が低い
・住宅ローンの返済や住み替え予定がある
・自分で資金を管理・運用できる
・医療・介護保険料の上昇を抑えたい
今回のように勤続年数が長い人は、退職所得控除も大きくなります。勤続38年なら2,060万円を控除できるため、3,000万円を一括で受け取っても税負担は約99万円に抑えられます。
ただし、まとまった資金を受け取ると、想定以上のペースで使ってしまう危険があります。投資経験が少ない人が、退職直後に高利回りをうたう金融商品へ大きく投資してしまうケースにも注意が必要です。
年金受取が向いている人
・大きな資金を自分で管理することに不安がある
・毎月の生活費を安定させたい
・一括受取すると使いすぎる可能性がある
・終身年金や高い保証利率が設定されている
年金受取の価値は、税金だけでは判断できません。計画的に取り崩せることや、長生きした場合の生活費を確保できることにも意味があります。
ただし、15年の確定年金で本人が途中で亡くなった場合、残りの年金が遺族へ支払われるかどうかは制度によって異なります。受取方法を決める前に、保証期間や死亡時の取り扱いを確認しましょう。
結論
今回の条件では、企業年金の運用利率が年2%でも、一括受取のほうが有利という結果になりました。
一括受取の実質手取り:約2,901万円
年金受取の実質手取り:約2,588万円
一括受取が有利な金額:約313万円
ただし、年金受取には老後の生活費を定期的に確保できることや自分で資金管理する負担を減らせるメリットがあります。
最終的には、税金・社会保険料だけでなく、運用経験、生活費、預貯金、相続予定、健康状態、企業年金の死亡時保証などを含めて判断する必要があります。
※本試算は、65歳時点の年金原資を3,000万円とし、年2%で運用しながら15年間、毎年末に均等額を受け取る前提です。60歳から65歳までの据置期間の運用益、事務手数料、年金換算率は含めていません。
※税金・保険料は2026年度の制度と新宿区・東京都の料率を固定した概算です。住民税や社会保険料は原則として前年所得を基に計算されるため、実際の負担時期は翌年度にずれ、企業年金の受取終了後にも負担が生じる場合があります。
※企業年金の種類、保証期間、死亡時の取扱い、支払方法、端数処理、将来の制度改正によって実際の金額は変わります。
